それからの美術教育  2008年2月11日 安東徒然日記より

今の美術教育 
 また一斉テストは9教科だそうでテストを作らねばならない
 しかし4教科はたったの25分
 学年順位は5教科で集計
 美術はいつも軽くみられている
 私の時代は週2時間、年間70時間だったが
 今は35〜45時間である
 高校は選択で書道か音楽で、ほとんど美術の授業はない

恩師・照井とし子先生の美術教育
 私にとって美術とは道徳以上の人生哲学のような
 神聖な授業だった
  
美しいものを美しいと感じる感性
 中学恩師は宮沢賢治女史とでも言える
 全国美術教育界では有名な先生だった

大学での美術教育
 大学で美術を専攻した私は、
 デザイン科の教授が変態に見えてついていけなかった
 芸術やる人は先生も学生も変人変態が多かった
 それでも素晴らしい先生にも出会えた
 志がある師は小手先テク人とは全く違う
 魅力的な授業を展開された

●美術教育達人の優しいじいちゃん教授
●中国哲学熱弁をふるう感動と興奮の講義
●スライドで中世ヨーロッパ美術の素晴らしさ
 偉大さを教えてくれた先生
●エミールの自由教育学
●戦時中シベリアに投獄されて生還できた教授が
 ゴッホについて熱弁をふるった

大学で学んだ伝道師ゴッホ
 宮沢賢治と同じ37歳という短い生涯だったゴッホ
 最後の10年間で彼は800枚もの油絵を残した
 しかし生前には1枚しか売れなかったという
 誰からも理解されなかった兄を支えた弟のテオ
 毎月兄の生活費を仕送りし続け、兄弟の死後は
 テオの妻ヨハンナが彼らの遺志を継ぐ
 数十億円の高値がつくほど人気があるゴッホの絵画
 宮沢賢治と同じように、
 死んでから100年後にやっと世界に認められた偉人
 そんな人生を私も歩みたいと思った


心を浄化するカタルシス芸術教育
 カタルシス芸術は劇団かかし座時代に
 とうたいりう氏から学んだ
 最後の美術鑑賞の授業では、ゴッホを取り上げた
 そして岩手出身の世界的彫刻家、舟越保武

 3連休だったが千厩に出張だった
 美術大展覧会の後片付け
 自分としては最高のオリジナル教材作品を展示できたと思う
 アイデアでは全国の誰にも負けない自負がある
 最後に恩師の遺志を少しは継げたと思う
 7年ぶりに復帰したピンチヒッターの仕事
 大好きだった祖母の聖地に少しは恩返しできたと思いたい
 もちろん私を理解してくれる人は少なかったとしても…



美術教師・照井とし子館  大学時代

 * イーハトーヴ影絵BOX * イーハトーヴの影絵、日高見桜市立高校生徒作品集

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