美術教師照井とし子V  

推薦の言葉〜求道すでに道なり

          十文字学園女子短期大学教授 林 健造


−(イーハトヴ、そこではあらゆるものが可能である)−宮沢賢治。

私は昨年の10月中旬、盛岡への旅の途すがら、花巻におりて待望の賢治記念館を見ることができた。
かつて清六さんのお宅で拝見した超現実派風の水彩画も飾ってあり、以前にも増して美しく輝いていた。
記念館の入口にある夜だかの星のレリーフは、強く印象に残った。

不思議なことに、それから数日後その”夜だかの星”がやって来た。
というのは、照井とし子先生から前もって長いお手紙をいただき、
ついで遠路わざわざお姉様と共に上京、拙宅を訪ねてこられた。
その目的はこんど照井先生が永くお勤めになっていた桜町中学校での美術指導の結晶である作品集を
”中学生の画集”として出版したいというご希望であった。
私は諸手を挙げて賛同し、表紙の相談があったとき、
私はちゅうちょなく賢治の童話から取材した”夜だかの星”の絵を選んだ。

照井先生といえば、忘れもしない昭和53年、我が国の美術教育の最高レベルの賞である佐武賞(現教育美術賞)の
受賞者として、その感動的な、充実感にみなぎるすばらしい実践報告は、いまなお強く脳裡に残っている。

あの見事な諸作品や、心を打つ論文が出版される価値や意味は、極めて大きいと思う。


しかもお話を伺っていて、もっと私を感動させたのは、この実践報告が55年に火災にあい、
奇跡的に焼失からまぬがれたことである。
先生にとっても生徒たちにとっても、何にもました宝ものであるこの画集が無事であったときの、
感激、感動はいかばかりであったろう。
先生のお宅が、と聞いて駆けつけてきた、かつての教え子たちが画集の無事を発見し、
手をとりあって喜びあう姿にこそ、照井先生の教育愛の真髄が伺われるように思う。
「先生ぜひ画集にして残してください」が、このときの生徒たちの声であり、希求でもあったという。

さらにもう一つの大きな意味がある。

それはこの作品集が、先生の全身全霊を打ちこんだ桜町中学校の教育実践の記録であることは前述したが、
その背景との関わりには、血のにじむような苦闘があった。
2・1・1当時の桜町中学校は、典型的な受験校であったので、当然受験教科に重点が注がれていた。
美術教科などは、ほとんど省みられることもなかったに違いない。
加えて教科時数も2・1・1という極めて少ない時間であるので、
全国的にも美術科の不振は眼を蔽うような状態であった。

人はしばしば次代の青少年教育を論ずるとき、創造力の育成とともに情操の豊かな人間の志向をあげる。
しかし現実は知育偏重に陥り、ために生徒たちは偏差値に懊悩し、落伍した生徒は非行に走り、
今日のような校内及び家庭内暴力といった教育荒廃の誘因になっているように思われる。

照井先生は、当時既にこの現実に着目し、憂い、精神(こころ)を育てることをモットーに、
この道に献身的に闘ってこられた。
あるときは慈母の如く優しくさとし、あるときは本気で叱り、
またあるときは姉の如く親しく相談にのってやられたのであろう。
この作品集にみられるどの作品にも、取り組みの真剣さが充実しているのに感嘆させられる。
見事な指導の成果であり、情操教育の結実である。

照井先生は、これらの実践を通し、中学校の美術の時間が1時間では教科の体(てい)をなさぬことを強く訴えられ、
また、このような中学時代だからこそ、その心情を育てる美術教育が今こそ極めて重要な役割をもっていることを
如実に我々の前に示してくれたのであった。


もちろん、照井先生のこのようなすばらしい業績は、先生ご自身の哲学や努力によるところであるが、
その先生を取り巻く人的環境にも恵まれていたに違いない。

照井先生の教育に温かい理解を示され、多大な協力を惜しまれなかった校長先生、そして同僚の先生方、
またなによりも照井先生を敬慕し、喜んでついてきてくれた多くの生徒や父兄たちの姿があったればこそであろう。

冒頭にあげたイーハトヴは、賢治が岩手県を指して言った言葉で、
「そこはドリームランドで、罪や悲しみでさえ清くきれいに輝き、田園の風と光に満ちあふれていた」
からとったものであり、まさに照井先生は、美術教育の面でイーハトヴをなしとげられたのである。

再び賢治の言葉をかりれば”求道すでに道である”という。
照井先生のこのすばらしい道が、この出版を通して多くの人々に深い感銘と共感を与え、
今日の教育荒廃を救う道となり、
思春期の少年少女たちの生き方を方向づけてくれる道となるであろうことを祈念してやまない。



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