安東文学館 秀衡日記 ジョヴァンニ安東秀衡ココロノ本音日記

2011年1月30日
 父の死に顔

今年の元朝参りは、あの世の極楽浄土をこの世に再現したと言う平泉・毛越寺の
美しい浄土庭園を父母と一緒に参拝した
正月に一緒に初売りにも行ったその父は
1月17日深夜、突然一関の自宅の風呂場で亡くなった
次の朝に発見した母から突然電話があり、大きなショックを受けた

後で気が付いたのだが
父が亡くなる寸前であろうか

深夜に「ひで!ひで!」と父が私の名を呼ぶ声が聞こえた
その時は全然意味が分からなかったのだが…

その日は、夜勤も休めず、ずっと泣きながら仕事をした
肉親が死んでも仕事をするというのがこんなにもつらいなんて分からなかった
次の日、盛岡から遠い一関の葬儀場へ駆けつけ、父の遺体と対面、号泣
親元を久しく離れ、最後の最後まで心配をかけて親不孝をし尽くしてきた分
涙の量も半端じゃなかった

父の死に顔は驚くほどイケメンだった
鼻が高くてこんなに美男子だったっけが?
近年の父は痩せこけて哀れな姿だっただけに意外だった

若い頃に親と死に別れる人がたくさんいる中で
こんな年になっても両親が健在である自分は恵まれていると知っていた
ついにこの避けて通れない日がきたかと思った
しかし、頭で分かっていても底知れぬ孤独と絶望感に襲われた

中学まで優等生だった私は
落ちこぼれの高校時代、親に反抗的になった
ある日、父と口論中、何かの拍子に父を馬鹿呼ばわりしてしまった
その時父は、こぶしを異常に震わせていた

その姿があまりにもあまりにも哀れで、息子の自分が情けなく
それ以来、父を同じ男として自分とダブらせて見れるようになった
もう父を悲しませたくはないと…

至らない点が多々あった人ではあるが
私にとってはかけがえのない偉大な父だった
私の肉体を創造した文字通りの創造主、神だと年をとるたびに思うようになった

5年前、余命半年と言われた父は癌手術で多くの内臓を切除し

多くの苦痛を味わった
その後、癌の再発は無かったが、いつ死ぬか分らぬ孤独と恐怖と共に生きていた
死に対する恐怖
愛する人との永遠の別れ、絶望感…

東京の学生時代、私は人生の意義を探し求め
ついにクリスチャンになり、死の恐怖に打ち勝った
しかしその後は神の存在は認めるものの無宗教主義者になった
教会も寺社も金儲けのインチキ商売だと思った

去年、NHKの朝ドラで、ずっと「ゲゲゲの女房」を見ていた
祖母が亡くなり、そして息子が事故で早死にした場面で、父が
息子がそちらに逝ったからオババ、よろしく頼むというのがあった

死んだら全ては無

死は永遠の別れだと思えば絶望しかない
けれども、肉体は滅びても霊魂は永遠で
あの世でまた家族と会えると思えば希望は残る

仏教もキリスト教も素晴らしい教えや生き方を説いているとは思っても
あの世の天国も地獄も幽霊も私は信じていなかった
この世が全てで、この世が天国にもなり地獄にもなると理解していた
しかし父の葬儀でお寺のお坊さんが、死んでも父はそばにいるよと話されて
素直に私は救われる思いがした

死の恐怖と闘って逝った父
昨年、私は世界一の不幸者で、つらくて死にたいと本気で思っていた
けれども死の恐怖〜誰とも永遠に会えなくなる孤独に勝てなかった…

父は癌で苦労した分、最高の形で苦しまず潔く78歳で亡くなったとも言える
大好きな平泉の温泉に通い

最後も自宅の風呂場で極楽気分で、あっと言う間に心筋梗塞で逝ってしまった

突然姿が消えたというショックはあまりにも大きく悲しみは繰り返して襲ってくるが
父はあの世で早く亡くなった父母(私の祖父母)に会えるんだ

父はあの世で私を待っているんだ
と思えば、気が安らぐ
私も大嫌いな病院では死にたくない
風呂場でお湯も飲まずに死ねるなんて幸せじゃないか?
と思うようにした

夫を亡くした母のショックも大きい
残された母には出来る限りの親孝行をしたい

父には大変お世話になった
彼は赤の他人である私を息子としてこの世に迎え、肉体を与え
苦労して育て
窮地の私を経済的精神的に救い出し、生涯愛してくれた

宮沢賢治が残した父母への遺言状と同じ思いで
ただ、ただ感謝…
父さん、長い間、大変お世話になりました
ありがとうございました


わが家族*父:小野寺牧夫 

◆安東文学館◆秀衡日記◆2011年◆2011年1月30日「父の死に顔」

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