昭和28年4月      昭和29年7月(1954年)
(1953年)21歳の父  22歳の父(左)と友だち


 
 わが家族*父:小野寺牧夫
   一関市コマキ写真館


 
 ハイカラ写真・小野寺牧夫23歳〜父のアルバム写真より

 わが父は、1932年(昭和7年)5月5日、岩手県一関市狐禅寺生まれ、職人肌のB型、小野寺家五人の男兄弟のうちの三男
 小野寺家は戦前まで一関東に広大な土地を持つ大地主であった
 長男は太平洋戦争出兵で若くして病死、孤禅寺の実家は二男が継いでいる

 小野寺家には、後に一関市長を長年務めた小野寺喜得氏が当時、養子として父と同居しており勉強を教わったという
 小野寺一族の会会長でもあった小野寺喜得氏は、一関高専を一関市に誘致する等、教育に力を注ぎ、
 戦後の一関市の発展に多大な功績を残した
 私が一関市で成人式を迎えた時も小野寺喜得市長が挨拶されたのを覚えている
 また、私と兄が一関一高在学中の校長は同じく親戚の小野寺忠男校長だった


 一関市には小野寺姓が多く、祖先は奥州平泉の藤原氏と同じ系統の藤原姓だった
 源氏の関東武士団(栃木県小野寺)として平氏と戦い

 源頼朝の奥州征伐では奥州平泉の藤原氏とは敵同士となり、葛西氏の家来として一関に土着し今日に至った


 父牧夫は一関一高定時制卒、プロのカメラマンを目指し日本大学芸術学部に進んだが、
 岩手の母が倒れ寝たきりとなり中退、故郷に呼びもどされる
 一関市でコマキ写真店(写真プリント、カメラ販売)を開き、40数年に渡り妻である母と共に経営
 二男一女を儲け、後に店を長男に継がせ引退、癌を患い大手術、完治したが
 2011年1月17日、一関市鳴神の自宅風呂場で突然死去
 
 趣味:釣り、ドライブ、金魚・錦鯉飼育、株式投資、園芸
 名言(迷言):
「釣った魚に餌はやらない」
      
「親孝行したい時には、親はもういない」



     初期のコマキ写真店内(1958年7月8日、岩手県一関市大槻町)



    一関市厳美渓〜若き日の父と母

     
一関市長 小野寺喜得  一関市狐禅寺の小野寺兄弟(父)  2011年、元朝参りの父と母  

妹と曾祖母(千葉家)   母方の祖父母と妹
母・林京子の母方の祖母、平泉町実家    一関修紅幼稚園運動会


兄ヒロシです    妹ノンちゃん   母妹父

ふるさと一関館   
安東プロフィール  「父の死に顔」秀衡日記2011.1.30

銀河鉄道紀行1962

ジョヴァンニ安東写真館
 
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