安東文学館 秀衡日記 ジョヴァンニ安東秀衡ココロノ本音日記

2005年1月〜7月

 松井逆転サヨナラ2塁打。
 一関大町新鮮館・夢小箱出品
2005,7,31
ゴジラがニューヨークに上陸して大暴れしてから
ヤンキースの大ファンになった
今日は久々に松井の大活躍が最後に見れて嬉しかった
投手崩壊でどん底まで落ちたヤンキースだが
首位レッドソックスが見えてきた
今年こそ世界一を!と3年が経った
HR17号、打点80、打率.308の松井、
まだまだAロッドやシェフィールドよりも大活躍してもらいたい

数日前に登録していた夢小箱の準備がやっとできて一関に向かった
城下町一関市の中心の中心、夏祭りではメイン会場となる場
それはダイエー跡地だった
水沢のかつて中心地メイプルジャスコが撤退しても
岩手のスーパージョイスが市の要請を受け入れて出店
されど一関の中心地は空洞のままだったのだが
市が動かないなら商店街が動けとばかり
一関まちづくり株式会社が設立され
ついにでっかいビルのダイエー跡地の
1階のシャッターが数年ぶりに開いた
新鮮館おおまちは道の駅のような売り場になっていて
たくさんの野菜や商品が並んでいた
そしてそこにレンタルボックス夢小箱があった
小さい頃からこの街の中心デパートに憧れ楽しみにしていた
そこになんと出店出品できるのだ(たったの月1500円で)
ステンドグラス作品や人形、ピアノ教室紹介、中華料理店の広告、
様々な手作り作品、地元出身の歌手コンサートお知らせ等、
様々でユニークな小箱が並んでいた
その場40センチ四方箱前で3時間かけてやっとひとまず形になった
売り上げは期待していないが最高の広告宣伝になると思う
8月5日からは旧一関市最後の七夕夏祭りが始まる
人口6万の一関市は平泉町を除いた近隣の多数の町村と合併し
もうすぐ13万都市に生まれ変わる
愛する生まれ故郷にいつまでもエールを送りたい


 数ヶ月ぶりにテレビに映ってました 2005,6,13
昨日放映された大河ドラマ「義経」録画を今日見た
久々にうつぼの上戸彩ちゃんが出たと思ったら
次の場面でいきなり自分が出ていた
ロケやってるときは何の場面かさっぱり分からなかった
貴族のかご?を担いで走り抜ける場面
砂ぼこり舞うせわしい場面だった
凄まじい表情をした自分が向かって左先頭で映っていた
義経エキストラとして誰よりも多く江刺ロケに様々な役で参加していたが
ほとんどカットばかりされていた
ここまで顔がハッキリ映ったのは初めてだった
江刺エキストラの会会長さんも遠くで牛と一緒に映っていた
平家武士役の時と違って寒い日のロケだった
車のドアに顔をぶつけてまだ傷が治らない頃だった

何とも哀れな平家の都落ちであった
哀れで愚かな宗盛と勇敢な武将知盛役の阿部寛が光っている
義経というより大河ドラマ「平家物語」だね
最初から平家物語としてやれば〜って感じ
義経の母、常盤御前はその後どうしたのだろう?
また沢山の蛭子さんのお子を産んだそうだが…
しばし静御前もお休みか
東北最強の助っ人佐藤兄弟の活躍が見たいわ


 再会、岡村孝子… 2005,6,12
うとうとしながらたまたまチャンネルをNHKのBSにしたら
どこかで見た懐かしい顔を発見
それは岡村孝子だった
びっくり仰天して急いでビデオ録画する
今年のライブ番組を半分しか見れなかったけど
とてもとても感激、手拍子しながら涙してアンコールの歌を聴く
「生涯現役」と語った孝子嬢、アッパレである
公務員時代、姫神とともに岡村孝子の音楽は私の芸術活動に無くてはならぬ力の源だった

その彼女が結婚した
私は心の中で叫んだ「やめろ!石井と合うわけねーべ!」
案の定、彼女は離婚した
そして彼女の歌は私から姿を消した
私も早くも人生を引退、隠遁生活?に入る
しかし彼女は復活した
×イチ、子持ち、借金地獄…パワフルな彼女は負けずに歌う
その声に青春テヌートの艶は見られなくとも
彼女はそのまんまの永遠の恋する乙女、岡村孝子だった
芸術活動を休止している私に刺激を与えない訳にはいかない

岡村 孝子(おかむら・たかこ)
▼1962年(昭37)1月29日、愛知県岡崎市生まれ。血液型O
▼椙山女学園大学中退
▼82年学友の加藤晴子と女性デュオグループ“あみん”で歌手デビュー。
自作の「待つわ」でポプコンのグランプリを獲得し、120万枚の大ヒットとなったが翌年解散。
作曲に専念するため大学を中退し、85年上京してソロシンガーとしてシングル「風は海から」で再デビュー。
以降、「夢をあきらめないで」「ミストラル」「フォーエバー・ロマンス」などをリリース。
20代のOLを中心に根強い支持を得る。
▼97年千葉ロッテマリーンズ(当時)の石井浩郎選手と結婚、一女をもうけるも03年離婚。
〜スポニチ芸能タレント名鑑より

私が彼女の衝撃的な音楽を知ったのは「ソレイユ」のアルバムだった
岩手の実家に帰ってきて兄の車で流れていた音楽だった
どんな好きな有名なアーチストのアルバムでも
1曲か2曲しか好きな音楽が入っていないのがCDアルバムだ
しかし彼女のそのアルバムは違ってた
どれもこれも皆心に響く素晴らしい曲ばかりの9曲だった
特に「Believe」や「クリスマスの夜」が好きだった
それから久慈市のレンタル屋さんで彼女の過去のアルバムを聞き
そして毎年彼女のアルバムを楽しみに待つようになった
O型彼女の強烈な恋の行列曲に圧倒される
コンサートのビデオも揃え、そこらのアイドルを超えた完璧な美女アーチスト、孝子信者になる

その他、私にとって好きなアーチスト歴は
★小学生時代〜ビートルズ〜兄の影響で彼らの曲を聴きながら毎日プラモデル(ドイツ軍機甲師団ジオラマ)を作っていた

★中学生時代〜ポール・マッカートニー〜解散後ウイングス時代の彼の歌を追った

★高校時代〜サイモン&ガーファンクル〜当時すでに解散していたが彼らの曲にどっぷりハマる。
S&Gの曲ならインチキ英語で全て歌えるほど。
曲を聴きながらいつも雨の日も風の日も黄昏の北上川サイクリングをしていた。
「ニューヨークの少年」「スカボローフェア」「ボクサー」「エミリーエミリー」「明日に架ける橋」
大学時代、一時的に再結成し来日、感激のコンサートを東京で目にした。
後大学時代は解散したアートガーファンクルに傾いていく。
「ア・ハート・イン・ニューヨーク」これが私の青春小田急線の歌かな。

★大学時代〜フリオ・イグレシアス〜新宿紀伊国屋で南国の島を思わせる魅惑の曲が流れていた。
私は即スペイン歌手の恋に陥った。大学でスペイン語を学び彼の情熱の歌に陶酔してゆく。
大好きな曲は沢山あるが一番は「グッバイ・アモーレ・ミオ」

★劇団員時代〜エア・サプライ〜東京町田市の交通事故入院時、友が持ってきたテープを聴き好きになって、
全国巡回公演のトラックで毎日聴いていた

★公務員時代〜姫神〜英語助手ALTのクリスティ先生から紹介された。
村内放送でも毎日流れていた。
以来、毎年彼のアルバムを楽しみに待ち、
彼のみちのく鎮魂歌を毎年発表していた創作劇や創作踊りBGMやテーマ曲で必ず使う。
彼のコンサートは平泉毛越寺や青森市浦村十三湖、青森市三内丸山遺跡で聴き、多くの感動を受けた。
星さんが亡くなり、私も亡くなったら告別式?では必ず姫神の曲を流してもらいたいと思うようになる。
「遠い日、風はあおあお」「えんぶり」「火振り神事」「見上げれば花びら」等名曲は数多い。


 美の創造〜ビーシュリンプ大量生産化 2005,6,5
寿司屋のおっさんが中国の黒白エビから突然変異の赤白エビを固定化してクリスタルレッドビーシュリンプとして商品化し、
農家のおっさんがほんの数年の短期間で日の丸個体やタイガータイプ等の白の多いレッドビーを全国に広め、
今や癒しペットとしてアクアペット界では最も熱いエビブームとなった。

プロショップをしのぐアマチュアパワーはインターネットのオークションサイトを見れば驚異なる脅威である。
コツさえつかめれば誰でも簡単に殖やせ、1匹1匹の模様に個性があり、大人気のグッピー以上に奥が深い。
水草の大草原を自由奔放に舞うビーシュリンプのファンタスティックな世界を見てると
現実生活の嫌なことも忘れさせてくれる。

120ワイド水槽2本で本格的にビー繁殖を始めて1年が過ぎた。
全滅したかに見えたビーも苦労の甲斐あって数百匹になり、グレードの高い黒白ビーを使って赤ビーを立て直し、
美しい紅白のレッドビー数十匹を得た。
もちろん選別を繰り返せばグレードの低いビーもたくさん殖える。
それで水槽も増えた。まずは60水槽にBグレード赤白と黒白数百匹。
そして60H水槽に宝のSグレード赤白と黒白ビー。エビの密度が高くなると抱卵しなくなるメス。
それで水槽は一気に増える。Bグレード水槽が6本、S・Aグレード水槽が4本、計12本になった。
まだまだ増えそうだ。
私は元々メタリックブルーのアフリカンシクリッドのブリードが得意だったが、
古代貝アンモナイトスネイルや国産グッピーのブリードに走り、多くの個体を全国のショップに卸し、
今は小さな脇役だったが打てば響いたビーシュリンプのブリードにどっぷりハマッている。
それはプロアマを問わない激戦区真剣勝負だ。
私は公務員を辞めてプロになったのだから負けるわけにはいかない。
アマチュア時代を含めてアクアペット(熱帯魚、エビ等)&爬虫類飼育20年、
私にとっては専門の影絵・絵画制作、演劇、音楽活動以上に
アクアペットのブリード(繁殖)は美の創造、芸術活動そのものなのだ。


 「楽茶間(ラクティマ)」ジョヴァ家放映される 2005,5,7
テレビ朝日系岩手朝日テレビの人気情報番組(毎週土曜昼12時55分〜13時50分)
イワテヲオモシロクスルテレビ〜「楽茶間(ラクティマ)」
口コミ探訪より道マップ、前沢町編で約1分半紹介されました

5月7日今朝の新聞テレビ欄には「ラクティマ 前沢はは虫類の里?…」とのタイトルが!
番組の始まりはいきなり矢部順子アナがうちの店に近寄る姿、店内で驚く御顔
矢部順子アナの腕をよじ登るエボシカメレオンの一コマが放映
「人生最大のピンチです」(困った顔で矢部アナ曰く)
口コミ探訪より道マップの前沢町特集では前沢牛コロッケや牛の博物館等
5つの取材が紹介されていた

5月3日、半寝しながら大リーグをうとうと見ていたらお客さんが来た気配
店の方へ行ってみると何とそこには有名美人アナウンサーとカメラマンが!
岩手朝日テレビの楽茶間取材で矢部順子アナウンサー(千葉出身)が来店
今までのテレビ取材では何度もリハーサルや取り直し撮影をしていたが
今回はアポ無し突撃取材でいきなりビデオカメラが回り
焦ってねぐせを直しながら話す変な自分の姿がテレビに写っていた(笑)

番組出演はワニ(メガネカイマン)、フトアゴヒゲトカゲ、ローズヘアタランチュラ、
レッドゲオファーガスとジュルパリ(南米シクリッド魚)、
大ブレイク中の元祖ビーとレッドビーシュリンプ
そしてメインはエボシカメレオンやアルビノヒョウモントカゲモドキに触れてびっくり仰天の矢部アナ
とってもチャーミングで面白い矢部アナの緊張した表情とそれを喜ぶ意地悪な私が映っていた
笑顔で満足顔の食べ物取材が多い中でこの異色な取材はほどよいスパイスだったかな
店の場所を紹介するより道マップボードのイラストもとってもステキでした
ピラルクやエンゼルフィッシュ、イエアメガエルまで可愛らしく描かれていてびっくりしました

ローカル番組では珍しいほど完成度の高い全国レベルの番組だと思いました
さすが東北名番組TVイーハトーブを受け継ぐ小山羊右さん(仙台出身タレント)の番組です
でぶっちょ羊ちゃんは優しく人のよい東北人って感じで親近感があり
矢部順子アナ他スタッフもとっても明るく楽しい雰囲気でした
犬猫と違ってマイナーな魅惑のペット伝導師の役目が少しは果たせたかな


 今日一日だけのGW 2005,5,3
ここ1ヶ月体調が悪く昼間半分店を閉めた状態が続いていた
夜仕事唯一休みの今日も
半寝しながら大リーグを見ていたら
店にお客さんが来たようだ
何とそこにはいきなり有名美人アナウンサーとカメラマンが立っていた
岩手朝日テレビ、土曜昼の人気情報番組ラクティマの
矢部順子アナウンサー(千葉出身)だった
盛岡からわざわざ前沢町の取材にいらして
たまたまうちの店を見かけて立ち寄られたようだ
いきなりのアポ無し突撃取材は初めてで
寝起き姿で恥ずかしかったが
おそらく霜降ステーキ前沢牛レストラン特集?に
矢部アナウンサーのお手てをよじ登る店の看板息子エボシカメレオン君が
ちょこっとテレビに出るかもしれない

午後遅れて隣町平泉の藤原祭り東下りを見に行った
国道4号線は物凄い渋滞で衣川に車を止めて中尊寺まで歩いた
今年はタッキー義経で例年20万人を超える過去最高28万人の観光客だった
絵になる今までで最高にカッコいい義経だった
凛々しい武将の藤原国衡の馬が体調悪くて汗かいてクルクル回っていた
人人人の群れでほとんど行列がゆっくり見れなかった
あ、でも人間ウオッチングが趣味の私には数万の観光客が新鮮だった

それから久しぶりに一関に帰った
母に溜まったフィルムを現像してもらい
去年まで縁切り状態だった兄とも仲直りして話をして
父の見舞いに病院に向かった
大手術を2回もして1ヶ月が過ぎた
のどに穴を開けてパイプを通し
薬で眠らされた父は植物人間状態であまりにも見ていられない
最近の活躍写真も見せることはできなかった

帰りも凄い渋滞だった
タッキーも平泉から江刺でトークショー
タッキーのように久々に忙しい充実した1日となった
体調悪くて仕事以外ほとんど1ヶ月外に出ていなかったので
サクラも見れず葉桜状態になっていたが
いい加減そろそろ私も花を咲かせたい


 義経と平泉(大河ドラマについて) 2005,4,29
大河ドラマを毎週欠かさず録画して見ている
相変らず自分がロケした様々な場面はほとんどカットされている
こじき役の自分の足とか出ていたけど
顔見知りのエキストラのみんなはばっちり顔もよく出ている
最新の武士役場面も自分は映っていなかった(がっかり)
それはさておき
地元平泉の歴史には昔から興味があったし
義経も大好きだった
もうすぐGWの平泉の藤原祭りには
義経役にタッキーが来る
タッキーは数回江刺ロケで近距離で見ている
とっても瞳がかっこいいし
アクションも上手く
川野太郎以来のぴったり義経役だと思う
今回の大河ドラマで私は藤原秀衡役や息子の藤原忠衡、
東北最強の助っ人佐藤忠信役に期待していた
前回の「炎立つ」役者があまりにもひどかったので今回こそはと思っていた
しかし義経の青春平泉はあまりにもあっけなかった
もっと作り話でも何でもいいから平泉人とのからみがほしかった
松尾芭蕉が平泉に来て涙するほど大好きだった藤原忠衡は全然出番なかった
彼は秀衡の遺言通り義経に従い兄の泰衡に殺されるのだが
義経との交流場面は大河では全然皆無
大昔の大河義経ではあの田村正和が忠衡役やってるのに!!
それに長男の国衡役は長嶋ジュニアでそれはそれでいいんだけど
国衡は家督相続の二男泰衡と違っていくさ上手だった
絶対若き義経は平泉時代彼から多くの戦法を教わったはずだ
地元では束稲山をはじめ多くの地で若き義経が馬を走らせたであろう足跡が多く残っている
平家との戦いで勝利した天才義経を生み育てたのは平泉の山河のはずだ
それを全然描いてはくれなかった
今回の大河では鞍馬寺インチキ美輪明宏陰陽師から全てを教わって終わりって感じでごまかしている
私は原作者の宮尾さんは大好きだけど
彼女はやはり西国出身、平家や京都びいきの人だ
「その時歴史は動いた」の義経特集でも宮尾さんは義経に批判的だった
岩手に何度も来て講演されているけど
平泉より京都好きのお方のようだ
どうしても北の野蛮な田舎、京都のコピー平泉は
いつまでたってもそれなりの評価はされていない
実際平泉は京都をしのぐ独立平和仏教国際都市だったのに
私の父方の祖先は東国の源氏の家来として平泉を滅ぼしにやってきたのだけど
源氏よりは一致団結平家軍団が好きだ
そして母方の祖母の故郷平泉は一番好きだ
最も尊敬する藤原秀衡役に今回は高橋英樹さんなので期待していた
しかしなぜか全て不自然な秀衡だった
中途半端な秀衡だった
彼はもっと器が大きく愛情深く優しい北方の王者だったはずだ
平清盛役の大好きな渡哲也の演技は最高で惚れ惚れしたけど
大河平泉編はあまりにもあまりにも陳腐だった
何もせずにもう源平合戦編になってしまった
平家、頼朝との3元中継で誰が主役なのかわからん大河ドラマだ
金をかけたわりには役者を上手く使っていない演出だと思ってしまった
弁慶あまりにも馬鹿にされすぎ、義経家来陣、明るいのはいいけど軽すぎだな
去年の新選組の無駄な青春多摩時代のようなことはさけて
もっと全国民が望んでいる名場面と推理新感動場面を正々堂々と演出してもらいたいと思う
大河ドラマ支持派なのでこんなぼやきは言いたくなかったけど
それでもまだまだ期待して大河を1年間見続けたいと思う


 初めてバレエ観るin江刺 2005,4,24
風邪が治らず咳が止まらず花粉症や歯痛、頭痛に苦しむ1ヶ月が過ぎた
ふらふらの限界で夜の仕事以外は一日中床に臥していた
大嫌いな病院も四度通ったが苦しい咳が止まらない
そんな中、身内のバレエ発表会ということで馴染みの江刺に向かった

NPO法人いわてルネッサンス・アカデミア主催、設立1周年記念
(理事長・直木賞作家、高橋克彦)の
東京小牧団のバレエフェスティバルを観た
地元の江刺教室発表会と東京の一流ダンサーのバレエを堪能した
近くで素晴らしい踊りの芸術を観て感動した
踊りが終わり静止するその姿はまさに人形のように美しかった
ミュージカルやジャズダンス等は東京の学生時代観ていたが
クラシックバレエはこの歳で初めてだった
創立者、小牧正英は岩手県江刺市出身で日本で初めて白鳥の湖を上演、演出した
「白鳥湖」を「白鳥の湖」と名付けたのもバレーボールと区別して「バレエ」と名付けたのも彼である
踊り子たちをモデルにした画家もたくさんいるが分かる気がした
女性も男性も美しくカッコよく素晴らしかった
足先指先まで全て研ぎ澄まされた美しさだった
人体芸術というべきか
機会があればもっともっと観てみたいと思った
人生初とはちょっと遅すぎたかな


 病院で直木賞作家に会うの巻 2005,3,25
けっこう前からのど風邪引いて1週間前久々に青森に用事で車で行ったら風邪が悪化し咳が止まらなくなった。
市販の薬を飲んでも治らずつらい夜の永い仕事が続いた。

たまらずようやく嫌いな病院に行った。地元のその病院にテレビや本でよく見たことのあるお爺さんがいた。
あ!三好京三さんだ!
同じ町のすぐ近くに古い大きな立派なお屋敷があり前々からお会いしたいと思っていたので驚きの感動。
待合室でよっぽど話しかけようとしたけどすぐ呼ばれて私の椅子の前を通るとき会釈されて行かれた。
せっかくのチャンスだったのに奥手の私が恋する人に告白そびれた心境だった。

「子育てごっこ」で直木賞受賞、それが映画化され
私の大好きな加藤剛と栗原小巻が最高の美男美女夫婦役として出演し地元や一関でもロケが行われた。
そのモデルとなった女の子は同じ高校の後輩だったし
三好さん(本名:佐々木さん)の弟先生から中学時代社会科を教わった。
思い出深い名物教師であった。地元の歴史にも詳しいし、いつか必ずゆっくりお話をうかがいたいものだ。

どっさり風邪薬をもらって帰った。しかしなかなか治らない咳だ。


 父の見舞い 2005,3,17
やっとひざも良くなり自営の店を長男に譲り退職後、観葉植物や株、犬の散歩、旅行をしていた父、
何度か前沢の家にも母と顔を出した。
その父は先週、県立磐井病院に入院した。仕事をしている母は毎日通い、私も何度も見舞った。
覚悟はしていた。母の大丈夫だと言う嘘は感づいていた。
そして今週初めて主治医の話を聞いた。思わず廊下で声を出して泣いてしまった。
父の部屋の前なのに父に分かってしまうではないか。顔を洗って部屋にもどった。
2年前父の末っ子の弟である叔父さんがすい臓癌で亡くなっている。
父は自分もではないかと疑って自信を無くしていた。
検査でさえ命がかかった大掛かりなものであまりにも父が哀れだった。
母方の姉妹の夫であるおじさんたちも次々と癌で亡くなっていた。
皆やせ細って別人のようになり苦しんで死んでいった。それはもう他人事ではなくなった。
つらい。生き伸びても苦しみが続くだけだ。
最後まで親不孝を続けている私はできる限りのことを父にするしかない。
異国の青森にいるはずだった私が父母の近くに住み、いつでも父を見舞えるだけでも幸せなのかもしれない。
兄はいつでも仕事仕事仕事第一。
妹は新聞記者の夫とパキスタンで3年は帰って来れない。
しかし金より自由(時間と場所)を選んだ私は何だってできるのだから。


 宮尾登美子「義経」NHK出版本読破 2005,1,23
大河ドラマ義経3幕はまだ見ていない(ビデオ録画失敗涙)が
大河ドラマ義経の原作者の宮尾さんの本を一気に読んだ
とても興味深く面白かった
宮尾おば様は高知出身の気品ある京美人タイプで尊敬します

義経は平泉で父親代わりの藤原秀衡が亡くなり
戦う気力を亡くし泰衡に攻められて自害した説を宮尾さんはとっていた
一方地元岩手盛岡(といっても県北盛岡人と県南人は大きな違いがあるが)の
直木賞推理作家、前回大河ドラマ「炎立つ」原作者の高橋克彦氏は
熱烈な義経北方逃避行伝説派だ
東北の義経伝説は数々あるけどシーボルトの作り話からきているとも言われている
とにかくほとんど記録は残ってないので推理するしかないが
奥州平泉100年の栄華はあまりにもあっけなかった
名馬の産出国でもあった岩手、最強の武将義経が来て
鬼に金棒だったはずだ

宮尾さんは北方の王者・秀衡の異母兄弟の息子たちはバラバラで
所詮平泉王国は滅亡の道を進んでいたと言うが私は認めたくない
家督を継いだ二男藤原泰衡は平家の腰抜け棟梁・平宗盛と同じだったのだろうか?
それならば頭がきれる腹黒い政治家で戦いは人任せだった源頼朝だって
戦場では腰抜け将軍と呼べるのではないか
あれほどの財力と力を持ちながら最強軍団の藤原国衡(秀衡の長男)軍は
現在の福島県で頼朝軍に破れ戦死する
もはや秀衡も義経もいない奥州平泉軍はあまりにも弱かった

もし平家の栄華が続いたなら首都は神戸だったのか?
もし奥州藤原氏が義経を中心にして一致団結して
源頼朝軍と戦っていたら必ずや勝っていただろう
私は日本は全国統一されずに関西以南は平家王国、
中部北陸関東は源氏王国、
東北は奥州藤原王国、そしてアイヌの北海道の4つの国で独立
このまま友好関係、ライバル同士でよかったのではないかと思う
一つの国じゃ進歩もないしつまんないよ〜


 ヨン様ミ二ョンのメガネもどき 2005,1,18
ヨン様はメガネがとても似合う紳士だ
冬ソナの高校生チュンサンもかっこよかったが
大人のミ二ョン透明セルメガネも魅力的だった
韓国ではメガネは知性の象徴だそうで
日本のド近眼メガネ小僧の悪いイメージはない
私は小さいときから目が悪く(小学生のプチプロプラモデル作りが発端)
それでもメガネがかっこ悪くて嫌いなので見えなくてもメガネを外したり
大学生時代からはコンタクトレンズと併用してきた
目が乾きやすい体質でコンタクトはあまり合わないので
よく落ちるハードをやめてソフトに切り替えた
寿命が短いので何度も買い換えた
疲れているときや家では銀縁メガネをしていた
去年さすがにレンズが傷だらけで見えなくなったので
メガネを久しぶりに買い換えた
流行りの小さなレンズメガネをやめて見やすいちょっと大きなレンズメガネを選んだ
ヨン様ミニョンに少し似た透明セルメガネが大特価で売っていた
レンズは高いのを選んでメガネを作ってもらった
ナル入った自分はヨン様気分なのだが
幼馴染に佐野史郎演じる冬彦みたいって言われたときはかなりショックだった
しゃべり方から見た目まで古畑・田村正和に似てる
と初対面3人以上に言われたこともあったし
銀縁メガネをかければジョンレノンに似てるとも言われた
全然自分はそう思わなかったのだが
人の見方というのは面白い
自分が誰に似てるかと言われることで
自分に対するイメージ、相手が何を考え何を感じているのかが分かる

そのヨン様メガネもどき姿は家の中(自分の店)でしか見せていなかったのだが
ついに夜の仕事先でもデビューしてしまった
気合いを入れてるときはコンタクトレンズをしているのだが
その日は目が疲れていた
仕事先に着いて左目に異物感がありレンズ裏表が逆だと思って
レンズを取ったら落としてしまった
暗い車の中を散々探したが見つからなかった
大雪の中また戻ってメガネ持って来いと言われ2時間ロス
最悪の夜となった
休んだ分必ず仕事が加算されるのできつい
大雪道で車が動かなくなって帰れなくなり大変な目にも遭った

大ヒットのジュピター平原綾香の曲を聞くたびにこみ上げてくるものがある
「自分を信じてあげられること」
自分を救える者は自分しかいない
何が起ころうと何を言われようと負けたくはない
立ち上がるしかない


 大河ドラマ「義経」第2話 2005,1,17
仕事で疲れて録画ビデオ後日見た
今回も何度か江刺ロケ場面がちょこちょこ映っていた
隣りで撮影見ていてよく覚えているシーンもいくつかあった
江刺エキストラの会の同僚もたくさん出ていた
自分が出ているかどうか確認するのも馬鹿らしく思えてきてやめた

歴史の本では清盛が女に飽きて常盤御前を
他の位の低い公家に嫁がせたことになっているが
渡哲也が稲森いずみにそんなことするはずがない
ということで母のような本妻時子(松坂慶子)の泣きで
清盛が常盤をあきらめたことにドラマではなっていた
実際これは誰にとってもあまりにもつらい話だ
常盤は3人目の旦那蛭子の子もたくさん産むのだが
女性はこんなことできるのだろうか?
源氏の棟梁旦那を殺した清盛を常盤はどう思っていたのか?
母と子供3人の命を助けた情けのある渡哲也なら許せるか
それでもその清盛に捨てられ蛭子公家に行くなんて!
あまりにもひどい話だわ
稲森常盤との関係がそのまま続いて義経がそのまま清盛を父と慕っていれば
歴史は変わっていたのだろうか?
常盤の3人目旦那の蛭子公家一条は
奥州平泉の藤原氏ともつながりがあったというから
義経の命運を左右した人物かもしれない
しかし妾の子の面倒も見ていた寛大なる母時子さん、
常盤とその子義経も可愛がってくれればよかったのに〜
そうすれば一件落着!
他に誰も苦しみ悲しむことはない
って大河ドラマ悲劇の英雄義経もめでたしめでたしで終わってしまうか??

実際、奥州平泉は平家や朝廷ともうまくやっていたのに
源氏のおかげで100年の独立王国の栄華は滅んだのだ
源頼朝は異母兄弟の義経を上手く利用して天下を取ったにすぎない
そして源氏はすぐ命が絶たれて平家の血を継ぐ北条氏が後を継ぐ
常盤御前の子ら義経含む3人は皆源氏の血が濃い武将気質だったというが
絶世の美女常盤というおなごは凄くたくましい女性だと思う
歴史は女性が変えるというのが本当らしく思えてきた
それは大河「炎立つ」で古手川さんが演じた
岩手の英雄・豪族安倍氏の娘・奥州平泉の藤原清衡の母と
まったく同じような人生だった
だから孫の藤原秀衡は家族愛から見放された義経を可愛がり
最後の父親役になっていったのだろう


 義経大河第1話、8.1秒出演? 2005,1,9
ついに大河ドラマ「義経」が始まった
去年新選組を毎週見ていて個性的な脇役陣に魅了されたが
今年はもっと気合いを入れて見たい
とにかく主役級の俳優ばかり集めた最高に贅沢至極な大河だ
映画宮沢賢治の父役でもいい味出してた熟年・渡哲也の
平清盛はまさに惚れ惚れする前半の主役だ

オープニングでは壮麗な厳島神社と毛越寺の庭園が映っていた
毛越寺は去年亡くなった姫神の星さんが何度かコンサートを開いた場所でもあり
尊敬する星吉昭さん以上に私も小さい頃から大好きな美しい平安の極楽浄土庭園だ
奥州平泉にはまさに京都をしのぐ壮大な寺院が乱立していたが
今はその毛越寺庭園と中尊寺の金色堂ぐらいしか残っていない

去年岩手県江刺市のロケに多数参加してきたので
とても楽しみにしていたが2度ビデオ見ても分からなかった
3度目、スローで見てやっと自分らしきエキストラを発見した
オープニングの字幕に「江刺エキストラの会」が載ってなかったのは残念
あれほど江刺ロケに協力したのに〜今回もたくさん出ていたぞよ
新人の私は他の人よりも毎日のようにロケに参加していた
10年間憧れてきた鎧姿は一瞬だった
脇役俳優陣の濃い若駒さん武士アップの遠くで
槍を持った赤い鎧の平家武士が源氏をつっつく
あまりにも短いシーンの連続つなぎ合わせでよくわからないが
きっと右はじの顔の分からないエキストラが服装そっくりなので自分だと思う

常盤御前と子らの前を走り抜ける武士たちの場面は
せっかく鎧まとって早朝から準備して半日待ったのに
人数が多いというのでいきなり全然参加できなかったのを思い出す
いいとこ悪役は皆若駒俳優さんが何度も出ている
エキストラは血塗りを塗られ顔や足に泥塗られ初めから死んだりしているのだが
それもほとんど映っていなかった
そこまで細部にこだわり大金かけて数百名のエキストラを動員してきたのは
やはりNHKしかできない技、贅沢だと思う

前から大ファンだった稲森いずみさんの京の都一の美女・常盤御前は適役だった
清盛に会いに行く門前で町人たちが面白そうに覗いてる場面は
左側の赤い衣の女性の隣りの薄紫衣町人が自分だった
8秒も出ていたがちょっと映りが悪くて恥ずかしい変な顔だった

義経赤ちゃんの撮影は泣いてばかりで困難を極め
監督さんがもう帰ってからスタジオで撮るぞーと言っていた
赤ちゃんは2人待機していたのだが
苦労の甲斐あってとてもかわいい笑顔だった
そして義経幼児期の神木隆之介君は光っていた
これは今年ブレイクする人気俳優「間違いない!」
ロケでもいつも明るくて可愛かった

次回はうつぼ役の上戸彩さんが登場しますが
義経タッキーと彩さんの近くを町人姿や浮浪者こじき姿で出演予定?なので
今後も目が離せないぞ!(笑)
また3月に第3次江刺ロケがあるそうだが
またたくさんの俳優さんたちにお会いしたいと思う

私の生まれ故郷一関市との合併で平泉町は何とも驚くドタキャン始末だった
平泉市誕生のはずだったが平泉町議員は墓穴を掘った
中尊寺から5キロ先北の理想郷に私は住んでいるが
かつて10万平安都市だったが
今は1万未満の弱小平泉町の将来をとても憂いでいる
平泉は2度も滅びるのか?
世界遺産登録目指してぜひ再生してもらいたい
大河ドラマで話題になる今年が正念場だと思う


 元日 2005,1,1
新しい年が始まった
体調が良くない中、仕事の毎日
唯一の休みだった
車が埋もれて道路に出るのに大変だった
平泉も混んでたのでとても時間がかかった
ようやく15キロ先の実家に久しぶりに帰ってきた
母の変わらないもち料理をいただく
おせち料理もおいしく食べた
食べるより寝ていたいと、ろくなものを食べていなかったので
久しぶりにたらふく食べて満足だった
妹はパキスタン生活で大変そうだと言う
さみしすぎるのでペルシャ猫を飼ったという
危ない現地取材の新聞記者の妻は
イスラム教の慣れぬ社会で独りで生活するのは心細すぎだろう
私はゆっくりテレビを見た
美術教師時代授業でもやった平山郁夫スペシャルも感銘受けたし
25年ぶりシルクロードも良かった
民放はB級ドタバタ番組ばかりで見る気がしない
よくここまで許す日本のマスコミ界が信じられない
それを見るほど暇な日本人が私は信じられない
手抜きしないでもっと面白い番組できないのかな?
真夜中に家に帰った
明日からまた仕事だ
ミスしてまた注意されぬよう気合いを入れたい


◆安東文学館◆秀衡日記◆2004年10月〜12月◆2005年1月〜7月◆2005年8月

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