◆◇◆◇◆東日流徒然短歌エッセイ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
8.きょういくに
ろうどういよく
かけている
せいさんろうどう
なぜおしえない
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昔、子供は家族にとって大きな労働力であった。
農作業を手伝ったり、兄弟の面倒を見たり、
多くの仕事を任せられていた。
しかし今は、学校、学校、学校で、勉強、勉強、勉強、
または運動、運動、運動、塾通い、ゲームの生活。
そこには、人間としての基本的生産労働が欠けている。
小中高校教育は、勉強又は運動ができれば良しとしている。
ただあとは、ボランティアという名の掃除や係活動を
イヤイヤやらせているだけだ。
それでは国家としても税金の無駄遣いであり、
子供たちを無意味に遊ばせているに過ぎない。
教育の名のもとに何と多くの税金が使われていることか。
給食なんかは典型的な時代遅れの無駄遣いだ。
給食まで教育指導とは、教師も疲れてしまう。
一食二百数十円の集金で、あとは納税者の負担だ。
何と言っても人件費が物凄くかかる。
これ以上身内を公に批判するのは控えるが、
とにかく公共施設や公務員、学校世界は
非合理的な無駄・無意味なことが多い。
ここで独断意見を述べたい。
午前の4時間は学習みっちり。
午後は能力に合わせて選択生産労働をさせる。
これはボランティアではない。
きちんと働いた分の賃金を市町村や県が支払うのだ。
たとえば給食は美味しい民間業者に委託し
そこで料理が好きな子どもたちにも働いてもらう。
だいたいボランティアなんか強制するからおかしくなるんだ。
働いたら金をもらう、当たり前のことだ。
小さい時から金銭教育をし、
働くことの喜びとつらさと独立心を早くから身に付けさせたい。
市町村(県)単位で、労働の場・青少年労働センターを設け、
どんどん競争し、地元の独自色を出したい。
それが地域活性化、国家のため、子供のための
学校教育ではないのか。
労働後には、大人同様、趣味の講座や部活動の時間もほしい。
1999年2月23日 作:安東秀衡
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