◆◇◆◇◆東日流徒然短歌エッセイ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
19.コンクール
なをあげるには
いいきかい
されどめいさく
とはかぎらない
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誰もが感じているだろう。
何でこんな作品が入選して、
あんなにすばらしい作品が落選しているのかと。
芸術は人の好みである。
コンクールは審査員の好みで決まる。
日本人の新人芸術家の出世方法の一つとして、
アメリカ等の外国のコンクールで名を上げて
日本のお硬い芸術家をあっと言わせるのがよくある。
日本では版画など芸術ではないと言われた時代の
板画家、棟方志功はその典型的な一人である。
結局世界的に有名になった彼は
日本でも無視できない存在となり文化勲章をもらっている。
彼の作品は魂が感じられ、私は芸術だと思う(全てではない)が、
最近は、これでも世界の賞をとったのか、
日本人には理解できないという作家も多く見られる。
芸術家はごろごろ転がっていると思う。
素晴らしい作品なのに有名になるきっかけがないだけだ。
コンクールは一つの手段であり、全てではない。
落選しても落ち込む必要はない。
自分の芸術を理解してくれる審査員は必ず世界のどこかにいると
自分を信じて活動した方がいい。
ゴッホが有名になったのは、たまたま善良な兄思いの
弟家族がいたからである。
たまたま運が良かったからである。
生きてる間に認められなかった芸術家も多い。
宮沢賢治もそうだ。
生きてる間に認められた芸術家は幸せだ。
はたして、自分はどうだろう?
全ては人生の勝負だね。
運も実力の一つだから、泣きごとは言えない。
1999年10月5日 作:安東秀衡
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