「それからのジョヴァンニ」サイトについて
 
岩手県立盛岡聴覚支援学校小学部の子どもたちによる熱演の賢治劇「セロ弾きのゴーシュ」 2012年10月盛岡市立都南東小交流文化祭にて

東京の大学時代、私は人文学部の芸術学科生だったが
文学部の講義も多数受けていた
一人の作家の人生をきめ細かく執拗に研究するのが大学の講義で
興味ない作家の場合は馬鹿げているなあ、くだらないわと思ったものだ

今、自分のサイト「それからのジョヴァンニ」を作って13年が経った
感激屋で感動して涙もろい分、落ち込みも激しい感受性豊かな性格なので
自己嫌悪になって何度もサイトを中断し閉鎖することもあったが
時が経つと自分のライフワークはこれしかないと思い直し
膨大な時間を費やしてサイトを更新してきた
サイトを運営するために自分は忙殺されてきた教員職を辞めたとさえ言えるだろう
現職教師の時は言いたい事が言えなかった
が、今は教育委員会や校長の批判だって自由に言える
日本の政治や宗教のことだって自由に言える…

「それからの〜」の題名は、夏目漱石の小説「それから」(1909年)をもじったもので
「ジョヴァンニ」は宮沢賢治「銀河鉄道の夜」(1934年)の主人公を指していた
大学受験のために学んだ漱石も難解な賢治の作品も私にはよく分からなかったが、
賢治の生き方、足跡が私の人生のテーマだった
37歳で逝ってしまった賢治、
まさに自分が37歳を越えてしまった青森市時代から
ホントに「それからのジョヴァンニ」になってしまった


賢治は死ぬ直前に、もっとエロ(恋愛)について書きたかったと語った
最近の賢治研究で、賢治には相思相愛の恋人がいて
何度も密会のデートをしていたようだ
賢治には多くの手紙が残されているが
ある期間の手紙が不自然的に残されておらず、つまり
彼女との手紙は一切捨てられた(封印された)ようなのだ
しかし、その許されなかった賢治の思いは難解な詩集や童話に描かれていたのだ
詳しくは澤口たまみ氏「宮沢賢治 愛のうた」参照


賢治一人を研究すればするほど、大宇宙の膨大な作業の多さに呆れてしまう
そしてまた、それからの自分の足跡記録も膨大な量である
マンドリンシンガー清心もまたしかり
彫刻家・舟越保武研究ページもまだまだ中途半端だ

さきほど、舟越保武展の図録画集(2000年昭和女子大学光葉博物館発行)が見つかった
自分は金はないけど本や画集はたくさん持ってる
この画集には、見たことのない舟越氏の凄い作品がたくさん掲載されていて
今更ながらびっくり感動してしまった
こんな作品も残していたのか!
その清楚な美しさにうっとり
ぜひ本物を見てみたい作品がどっさりこだった

賢治が「銀河鉄道の夜」を10年間、何度も手直ししてきたように
私もまた死ぬまでサイトを更新続けるのだろう
生きた証詞だ
インターネットの時代にぎりぎり間に合って生きててよかったね… 

2013.1.10 ブログより


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