中尊寺金色堂前の妹
                  黄金の都・奥州平泉写真館    平泉町束稲山写真館
     日本のシナイ山 束稲山

          古都の秋桜


広大な岩手はほとんど山々でおおわれている
唯一開けているところが北上川沿いの町々
盛岡、花巻、北上、水沢、前沢、平泉、一関
その美しき母なる北上川が流れる日高見の国に
平安時代 奥州藤原氏が黄金の都・平泉を開いた
いくさで多くの血を流した罪無き人々を弔うため
奇跡的に生き残った藤原清衡は京の都に負けぬ
平和なる仏教の都を建設した
そして三代秀衡の時代まで百年の栄華は続いた
なぜこんな田舎に京の都もうらやむ大きな都があったのか
江戸時代、西行法師が束稲山(たばしねやま)の桜の美しさに驚嘆した
松尾芭蕉が平泉を訪れ悲劇の英雄・源義経の最期を悲しんだ
誰もがここ平泉に来て感じるだろう
その雄大な山河と寺院 心のふるさとに人は癒される





     藤原清衡が建立した中尊寺金色堂 (えさし藤原の郷) 




 
            束稲山から望む夕暮れの古都・平泉                               心のふるさと〜日本のシナイ山・束稲山と北上川

  今から九百年前の日本人口は一千万人にすぎなかった
  その当時における二大都市は、京都と平泉であった
  京都が約十六万人、平泉が約十五万人であった   〜佐貫利雄氏



                                落日の都
   平泉は私の母方の祖母(千葉氏)の町だ
   私は大学の夏休みに自分のルーツをさぐろうと
   父母の祖先の戸籍謄本を一関市、平泉町、衣川村等の役場に通って集めた

   父方小野寺一族は下野国下都賀郡小野寺郷(栃木県下都賀郡岩舟町)の出身
   始祖小野寺
義寛は源為義(頼朝・義経の祖父)に従い坂東の地を転戦
   二代目
小野寺道綱は源頼朝が挙兵すると舎弟範頼に従い活躍
   1184年2月5日、一ノ谷合戦に参戦
   1184年8月8日、平家追討軍として西海へ出陣
   1189年7月19日、奥州藤原氏平泉征伐に出陣
   平泉を攻め落とした後、小野寺一族は宮城県北〜岩手県南に土着したとされる
   元々小野寺氏は奥州藤原氏と同じ藤原姓だったという

   私には奥州藤原氏・平泉の民の血と
   奥州平泉を滅ぼした小野寺氏や千葉氏、関東武士団の血が流れていたのだ
   とても複雑な思いがした



      
            達谷窟毘沙門神楽                毛越寺浄土庭園写真館


*ふるさと岩手一関・平泉掲示板*
      
一関市・平泉町出身、在住、一関・平泉大好き情報交流掲示板
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 BY JOVANNI ANDO   
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