宮沢賢治エッセイ5  2011.9.26 
   
一期一会の出逢いと別れ〜宮沢賢治と私、ジョヴァンニ安東 

                                                          
2010.1.3 盛岡の中心を流れる中津川 
人生は一期一会の出逢いと別れの連続で成り立っている
私の人生において大きな影響力を与え、そして逝ってしまった人を思い浮かべてみる


◆宮沢賢治(1896〜1933)岩手県花巻市の詩人、童話作家

私は彼の作品以上に彼の歩んだ人生と彼の思いと大志に興味があった
常に賢治を意識しながら人生を歩んできた

賢治の行動の根源は宗教(法華経)の布教活動にあった
過激な宗教活動をする賢治は地元では変人扱いであった
後にその布教活動は詩や童話等の芸術・文学の形で行われるようになった

私は東京の学生・劇団員時代、クリスチャン活動に非常に熱心だった
後に私はキリスト教を捨てたが、その精神は芸術(ゲージツ)の形として表現され続けた

賢治の教師歴は4年半、この時代が最も経済的に恵まれ、詩集や童話を自費出版した
私の教師歴は岩手と青森で14年、退職後に講師として9ヶ月
岩手の小学校教師時代が人生で最も充実していた
賢治と同じくたくさんの童話(戯曲)を書き、子どもたちと演劇を発表してきた
絵本「アテルイの涙」を自費出版する予定で準備していたが忙しくて叶わず

賢治は農民となり羅須地人協会を設立し農民芸術活動を始めた
私は青森教員時代、熱帯魚・爬虫類等のペットに魅せられ東日流(つがる)美術水族館を建て
地域に公開、全国のマスコミに紹介された
私にとっては共に楽しく美しく生きようとの
連帯・羅須地人協会の精神でやってきたつもりだった

晩年、賢治は石灰肥料工場(一関市東山町)のセールスマンとなる
私も親(一関市のカメラ写真店)と同じく商売(画廊&ペットショップ)を始める
賢治が青春の10年間を過ごしたイーハトーヴ首都・盛岡市(モリーオ)に憧れ
放浪の私も最後の半生を盛岡市(モリオーネ)に決めて住み着いた

賢治は37歳の短い生涯だったが多くの偉大な足跡を世界に残した
「銀河鉄道の夜」の主人公ジョバンニに憧れた私、ジョヴァンニ安東は
未だに放蕩を尽くし疲れたインチキ人生のまま、天命を全うしていない



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