宮沢賢治エッセイW
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雨にも負けぬサラリーマン宮沢賢治 2010.5.12 ジョヴァンニ安東

今夜の歴史秘話ヒストリア は宮沢賢治だった
運よく夜勤休みでリアルタイムで正座して涙流しながら見た(笑)
あの有名な「雨ニモマケズ」の詩は
教師賢治でもなく
農民賢治でもなかった
それはサラリーマン賢治だった

晩年の賢治は
一関市東山の東北砕石工場で肥料の石灰営業マンとして奔走した
東北砕石工場跡は新日鉄釜石工場跡のような雰囲気で
今も絵になる荘厳な風景である
猊鼻渓舟下りで有名な東山町は
私の故郷一関市と合併した観光地である
平泉町から見ると美しい束稲山の裏側の山々に囲まれた小さな町だ
賢治と同じ花巻市出身の校長先生(賢治研究家)はかつて私に
賢治を早死にさせた東山町(工場)を花巻市民は良く思っていないと語られた

確かに賢治は仕事で無理しすぎて37歳で他界した
しかし彼は前々から自分は長生きしないと自覚していて(結核菌のため)
死を覚悟した生き方を送っていた
だから生涯結婚しなかったのかもしれない
人生を仏の道に捧げ、隣人の本当の幸いのために生きた


理想や新しい科学を語ったが
それ以上に彼は人間好きのタフな実践家だった
彼の生き方は今も私たちに勇気と生きる力を与えてくれる


                                                       現在の一関市東山町


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