それからの宮沢賢治館 それからのジョヴァンニ
賢治の親友、岩手県紫波町出身、藤原嘉藤治(1896〜1977年)
 

「それからのジョヴァンニ」とは、宮沢賢治の遺志を継ぐ者です
その中に
藤原嘉藤治がいました。音楽教師だった彼は賢治の死後、賢治全集(文圃堂版、十字屋版)の出版に尽力し、
終戦後は賢治の精神を実践しようと郷里で開拓者となります。

 
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                                     2010.2.20 花巻 宮沢賢治童話村にて

以下は「かとうじ物語」(どっこ舎・内城弘隆氏)
抜粋です。ぜひサイトをご覧ください。
そこからは、いかにも人好きでおせっかい焼きのO型らしい賢治の姿が見てとれます。
生きていくのがつらい時、もう一人の「それからのジョヴァンニ」は私たちに生きる勇気と意義を与えてくれます。  2009.1.23 ジョヴァンニ安東


中古で穴のあいたチェロを夜を徹して弾く嘉藤治の姿は、
後に賢治童話「セロ弾きのゴーシュ」のモデルとされました。

昭和三年三月、賢治は嘉藤治に縁談を持ちかけ、わざわざ青森まで行って花嫁の親の許しを得たり、
婚礼の準備を整えるなど仲人の役割を懸命に果たしています。
嘉藤治は賢治の好意を受け入れ、キコという女性と結婚しました。

二人のことを回想して嘉藤治の妻キコさんは、「ブーブーベーべー下手だったね、二人のセロは。」
「夜中に二人で山を歩いて来たとか、星がきれいだから田んぼに入って踊って来たとか、大人のわらしだった」
といっています。

賢治について聞き取りに訪れた盛岡一高生たちに、嘉藤治は次のように述べています。
「・・・賢治は終生形あるもの、掴んだり手に持ったりすることを非常に嫌っていた。
つまり所有することを恥だと思ったのです。だから彼は無限だ。所有することを求めたら、そりゃ喧嘩だよ。
地球は有限でしょうや。それを求めたら戦争が起き、平和の妨げになる。」


◆それからの宮沢賢治館◆宮沢賢治の親友・藤原嘉藤治

 BY JOVANNI ANDO
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