小学生高学年〜中学生の頃、委員会や地区子ども会が嫌いだった それは自分がみんなの前で司会しなきゃいけないからだ 私は恥ずかしがりやでいつも逃げてたので 何をしゃべればいいのか分からず焦った でも文章を書くと大胆で自己主張が激しかった また自ら脚本を書き創作劇では生き生きと演じた それは普段の自分ではないと割り切れるのだ チャンネルを切り替える
そこがAB型の私の特徴だった
高校生でやっとリーダーらしき自覚ができた 大学では校外で様々な経験をして才能を伸ばせた 特に子どもが好きで子どもの前では素直になれた プロの劇団を辞めて故郷に帰り教師になった 口ベタの私が教師になるなんて信じられないわ 最初はしどろもどろだった それでも専門の好きな話をすれば止まらなかった そして何百人もの前でも話をするのが苦にならなくなった
上手くはないけど話をするのが好きになった
お前は商売に向いてないと父に言われていたが 商売を始めた 相変わらず騙されることが多く大変だった でもたくさんの常連のお客さんが来て楽しいことも多々あった 夜中から朝までコンビ二のバイトもやった 接客は大好きだから面白かった 東京のタレント事務所にも通った 真面目に頑張ったがインチキ商売っぽくて辞めた
デビューは幻に終わった
東京でどん底生活を経験した そして身体がボロボロになってついに津軽を離れた 故郷に帰り初めて製造業の仕事をした 立ちっぱなしできつかったが慣れれば楽だった 単純作業でこんなに時給がいいなんて〜 その後また念願の店を去年再開できた ド田舎だから青森市のように客は来なかったが 全国通販でやっと軌道に乗れた 自分には多くの経験から自信があったが 多くの自信喪失も味わった 熱帯魚等水系ペットの繁殖を再開して やっと自分を取り戻すことができてきた そうだ、これが私の仕事なんだ! 繁殖(製造業)と商売(営業)のバランスがとれたこの仕事こそが
私の天職なんだと最近思った
まだまだイラストレーター、執筆活動、絵本作家、カメラマン、俳優、歌手… やりたいことはたくさんある 私は負け組変人馬鹿かもしれないが自分の可能性を信じていきたい やりたいことは全部やって逝きたい 人生楽しまなきゃ!
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