舟越保武の生涯  舟越保武年譜

1912年(大正元年)      12月7日、岩手県二戸郡小鳥谷村小鳥谷停車場構内第一号の
                   四官舎(現一戸町小鳥谷字中屋敷)で、
                   父保蔵、母チヨの三男として生まれる。
                   父の保蔵は若い頃に洗礼を受けた熱心なクリスチャンで、当時小鳥谷駅長を勤めていた。

1915年(大正4年)  3歳  父の仕事の関係で盛岡に移り住む。
                   4月29日、母チヨ死去。

1919年(大正8年)  7歳  盛岡市立桜城尋常小学校入学。

1925年(大正14年)13歳  岩手県立盛岡中学校(現盛岡一高)入学。同期に佐藤俊介(後の松本俊介)がいた。

1928年(昭和3年) 16歳  右脛骨骨膜炎になり、2度手術をするが、右足首回転不完全となる。
                   学業不足のため落第。歩行困難のため松葉杖で通学する。

1929年(昭和4年) 17歳  東京高等工芸学校に在学中の兄健次郎からもらった高村光太郎訳「ロダンの言葉」を読んで感動し、
                   彫刻に惹かれる。以後、美術書を読み粘土を手にするようになる。
                   11月14日、父保蔵死去。

1930年(昭和5年) 18歳  デッサン、スケッチ、油絵を描き始める。
                   「盛岡中学校校友会雑誌」に随筆「ナンバントンボ」を発表。同誌のカットも担当する。

1931年(昭和6年) 19歳  岩手県立盛岡中学校(現盛岡一高)卒業。

1932年(昭和7年) 20歳  東京美術学校師範科を受験、不合格。

1933年(昭和8年) 21歳  東京美術学校師範科を受験、また不合格。兄健次郎と相談し、来春彫刻科受験を決意し、
                   毎日石膏デッサンに通う。美術書を参考にし、初の塑造「N君」を制作。

1934年(昭和9年) 22歳  東京美術学校彫刻科塑造部入学。谷中初音町の初音館に下宿。同級に佐藤忠良がいた。
                   岩手県出身の彫刻家堀江尚志の練馬のアトリエを訪ね、作品を見てもらう。

1935年(昭和10年)23歳  10月、女性の頭像「つやこ」を制作。

1937年(昭和12年)25歳  第12回国画会展(東京府美術館)に「習作」、「首」を出品、初入選。
                   練馬に新築されたアトリエ長屋で後藤一彦・佐藤忠良らと共同生活を始める。

1939年(昭和14年)27歳  3月、東京美術学校彫刻科塑造部卒業

1940年(昭和15年)28歳  2月、坂井道子と結婚

      
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   「道子」 ブロンズ 高さ29.0センチ 1940年頃制作   〜舟越保武氏の奥さんの像です

   ◆岩手県立美術館サイト所蔵 「道子」   

画家、俳人、詩人でもある舟越道子さん(北海道出身、東京都世田谷区在住〜2010年、93歳で死去)は
夫である舟越保武氏の多数の遺作を県立美術館に寄贈しています。








































ジョヴァンニ安東写真館◆舟越保武彫刻館◆岩手県立美術館大聖堂写真館◆舟越保武作品写真館

                              ◆若い女の胸像◆道子◆LOLA
 

以下、工事中


1912年 岩手県一戸町に生まれる
1934年 東京美術学校彫刻家塑像部に入学
1939年 同校卒業、新制作派協会彫刻部設立に参加
1941年 松本竣介と二人展開催(盛岡市)
1950年 盛岡カトリック教会で洗礼を受ける
1962年 「長崎26殉教者記念像」で第5回高村光太郎賞受賞
1967年 東京芸術大学教授となる
1972年 「原の城」により第3回中原悌二郎賞受賞
      同作品をローマ法王庁に寄贈
1973年 ローマ法王庁より大聖グレゴリオ騎士団長勲章受章
1978年 芸術選奨文部大臣賞受賞
1987年 脳血栓で倒れる。以後左手で制作を続ける
2002年 昇天


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